わたしたちは、
今を生きる子どもの遊びや生活を
子どもと共に豊かにします。
“くう・ねる・あそぶ”で人間らしく生きる
穏やかな毎日の暮らしとは『安全で安心できる暮らし』です。つまり乳幼児期は食べる、眠る、身体を動かす、人間らしい生活をすることが保障されなければなりません。それを保障するのは大人の役割です。
病気や感染症などの知識をもち、衛生面に気を配り、危険を取り除いたり、災害への備えを行ったりして、やがて子ども自ら、身を守れるように援助します。
また、子どもの様々な欲求に対して、特定の大人が応答的な関わりを行うことで愛着関係が形成されます。
基本的信頼感をもち、心身ともに守られ、安定した生活を送ると子ども自身が満たされ、周囲の人やものに関わる意欲が生まれ、やがて自律/自立※1していく力となっていきます。
※1
安心感のもと、自分の感情を調節しながら行動する力 (自律)が育つと自分で取り組む力(自立)も育つ
個包装が開けられず「あけて!」と友だちを頼ります。「うん」とおやつを食べる手を止めて、その子のために包み紙を開けます。友だちが開けてくれることを期待してじっと待ちます。自分ひとりでは難しい時に保育者だけでなく、“きっとこの子なら”と一緒に生活をしている友だちに期待をもって頼ったり、それに応えたりする気持ちが育ちます。
「ちょっとー早い早い!」と言いながらも押す方も押される方も充実した表情です。
日々の安心した生活が保障されているから、友だちとの時間を思い切り楽しめるのです。
手洗いの順序を確認しながら食前やトイレの後に手を洗います。また、自分のベッドを自分で敷いて生活を整えます。日々の生活に見通しをもち自分で整えていく姿は、子どもが生活の主人公になっているのです。当たり前のことが当たり前にできるのは、身も心も満たされているからこそ意欲的に取り組んでいけます。
いつも一緒の保育者や友だち、場所や順番で繰り返される生活だから、心も身体もゆだねて過ごしています。
「おいしいね」「いっぱい食べて嬉しいね」保育者の温かな眼差しに見守られながら食事をします。
子どもが面白い!と感じたことを保育者と共有したくて「見てた?」「もういっかい」友だちを誘い出かける時に「先生、いってきます」と振り返ります。伝える相手や共有する相手がいるから“もっともっと伝えたい”を表情や行動で表します。
子ども時代の“今”を生きる
取り巻く社会環境の複雑性が増し、次々と想定外の出来事が起こり、将来予測が困難な状況(VUCA=ブーカ※2)を抱える時代だからこそ「生き延びる力」が必要です。それは自分で問いをもち、他者と協力したり知識や技術を活用したりしながら課題を解決していく力です。保育者は生活や遊びの中で自分がやりたいことを見つけ、選んだり考えたり、決めたりする環境を整えてこの力を育みます。
乳幼児期は将来のための「今」ではなく、子ども時代を子どもらしく生きる時期です。子どもらしく生きるということは『生活』や『遊び』の中で触れたり、見たり、聞いたりするなど五感で感じながら、思わず心や身体を動かす体験を思う存分行うことです。
その中で楽しんだり喜んだり悲しんだりなどの感情が出てくると「触れてみたい」「知りたい」など、ものや人への興味や関心につながっていきます。これらを繰り返しながら試してみたい、もっと良くしたい、乗り越えたいなど粘り強く物事に取り組むことや自分に自信をもつことなど目に見えない力(非認知能力)がやがて学びに向かう力となります。
同時に子どもは、読み書き計算などの数値化できる能力(認知能力)も育つ力をもっていますが、ものや人との対話的なやり取りの中で身につきます。認知能力と非認知能力が絡み合いながら伸びていくことで、人は生涯学び続けることができます。
こうして子どもは自分で判断し、挑戦するような主体的な生活をするとケガをすることもあります。自分で危険を予測できる中での小さなケガは子どもが自分の身を守ることにつながります。更に自分でどうしたら乗り越えられるかを考える機会にもなります。
また、ご飯を食べる、掃除をする、花や絵を飾るなど当たり前の生活に私たちが価値をもち居心地のいい空間をつくります。この営みが豊かな文化を作り上げ継承していきます。殊に人間の力が及ばない自然の神秘や不思議さに触れることは、子どもたちの探索意欲を湧き立てます。そして、尊い「命」に向き合うことにもなります。自然との関わりは命の巡り、限りある資源に気づく大きな役割があります。
例えば食を通して四季を感じる、自然の恵みや作り手などに感謝する、様々な食材に出会う、人と分かち合うなど楽しさを味わうことも「生き延びる力」となります。
※2
Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)から頭文字をとって作られた単語(VUCAブーカ)であり、ひとことで言うと「予測不能な状態」を示します。
引用 : レイチェル・L カーソン(1996)「センス・オブ・ワンダー」新潮社
田植え、稲の花を見る、稲刈り、脱穀の体験をしました。農家さんに教えてもらいながら1年を通して米が育つ様子を知っていきます。昔の脱穀機を使って脱穀もしました。この後、できたてのおにぎりを「おいしい」と米の味を確かめるように食べました。
水族館で見たものを再現しようと「あの色」を求めて色を作り、細かく塗っていきます。
筆の先にまで神経を集中させて取り組む姿が真剣な表情から伝わります。
園庭の木や草むらでは、一年中小動物の営みを見ることができます。
子どもたちは近くでもっと見たいから捕まえます。
周りの子はその様子を息をのんで見守ります。
“そっとね”という声が聞こえてきそうです。
捕まえた虫を入れるバケツも準備してみんなの心は一つです。
初めてみた葉っぱ。じっくりと見て触って、匂いを嗅いで確かめます。
(衛生面には配慮しています)
「これは何?」地面に黒いものを発見。
自分が動くとその人も動く不思議!!
やがてそれが、自分の影だと気づくのです。
心が動くと思わず身体も動きます。体験しながら五感をフル回転させて、全身で感じて考えます。触れば触るほど新しい体感や発見があり、面白さは増す一方です。
そんな心の動きを一緒に感じてくれる保育者が傍らにいるのです。
虫の名前や生態をみんなで調べます。虫をクラスの仲間に迎えるため、最適な環境を知ろうとすることは、その虫の命をも大事にしようという思いの表れです。
自分で虫を触れなくても友だちが持って見せてくれます。
感じたことを話すとその思いを一緒にかんじてくれます。
「これ、恐竜の化石かも!」園庭に埋まっていた石を掘り始めた3歳児。見つけた石を洗いきれいに拭き取り、恐竜図鑑の骨のイラストの上に並べてみました。「やっぱりこれは恐竜のや!」子どもたち大発見。それからしばらくの間、毎日園庭での発掘作業。自然のものに出会い、心動かされたことが、こんなに壮大な展開となる子どもの遊びの力は偉大。この力が一生学んでいける根底となるのです。
「今日の昼ごはんとおやつは自分たちで作る!」園庭で火起こしからのカレーライス作り。「このくらいの火の強さかな」「木、もう少し足そうか?」火の調節を自分でするなんて日常生活では体験できません。敢えて面倒な工程を経ることで火そのものに疑問をもったりします。また「これを完成させなければ、自分たちが食べられないかも」という強い思いで食事を作ることで、努力を惜しまず火を守り続けようと工夫し仲間と協力します。実体験でしか育たないものがそこにあります。
スライムで遊んでいる時、のばすと薄く透ける性質をもっていることを発見しました。光に透かしてみたり、下へ伸びて落ちきってしまうまで眺めたりして遊びました。そんな時「水族館でみた生き物」wp創りました。クラゲをこのスライムで表現できるのではないかと考え、作りたい大きさ、色、形にこだわって真剣に作り進めていきます。
季節ごとのテーマで玄関の絵本コーナーを装飾しています。子どもにとって絵本はある時は心安らぎ、勇気をもらったり、ことばを覚えたり、生きる力をもらったり、ユーモアを知ったり感じることができる保育の宝庫です。ファンタジーの世界に身をおくことができ、主人公になることもでき、想像する力が育まれ生きる力を学ぶことによって語彙力が増え、文化的な遊びや生活ができます。その子にとって人生を豊かにするものです。幼児期に読んでもらったできごとはその人の生涯に影響することがあります。だから絵本は大切なのです。仮体験、実体験、追体験をつなげる絵本が子どもも大人も生活の中に当たり前に感じられるような空間を設けたり、季節の移り変わりを感じたり、文化を伝承したりすることも園の大切な役割です。
子どもと同じ目線になり驚き、不思議、発見を共有します。言葉にならないけれど同じ空間で同じものを見て、同じ思いを共有します。
子供の心をのぞき込みたい、この子は何を見て何を面白がっていて何を不思議がっているのかを知りたくて「(虫よ)お願い動いて」「やったー動いた!」「Bちゃんが見てる、見てる」子どもの心が動き、保育者もそれを感じています。
人と生きる
子どもたちは、生活や遊びの中で、自発的に物事に関わることにより、自分の思いや考えをもちます。泣いたり笑ったり、怒ったりするなど感情で表すこともあります。また、言葉にならない感情を身体で表すこともあります。そこに保育者は気付き、受け止め、子どもの表現を肯定的に捉え、ことばに代える働きが求められます。
やがて子どもたちは主体的・協同的な生活や遊びを通して、自分の思いや考えを伝え、受け止めてくれる役割は保育者から友だちへと変わっていきます。しかし、伝えたい気持ちが強くなると、感情の振れ幅が大きくなり、ケンカや言い合いのような形で現れることもあります。このぶつかり合いは、自分に向き合ったり、自分とは違う思いや考えがあることに気づいたり、折り合いをつけたりする機会となります。その繰り返しの中で目標に向かって、一緒にできる喜びを感じたり、より良いものができることに気付いたりします。
「私が東京太郎です」「いいえ、私が本物です」永遠に続くやり取りに、笑いがとまりません。訳もなく笑える時があります。こういう笑い合える関係が人生には必要です。
嫌な気持ちを泣いて全身で表現します。泣いても笑ってもあなたの味方よ。その気持ちを全部受け止めます。
向き合い方は人それぞれです。私の気持ちを聞いてほしい、分かってほしいから真剣に伝えます。この仲間なら分かってくれると信じているのです。
誰がわるいのではなく、何故泣きたいほどの気持ちかをみんなで考えます。この場面に保育者の助けは要りません。子供同士で話し合って、互いの気持ちを受け止め、理解しようとしてさらに仲間意識は強まっていきます。
友だちと同じ目線をもち取り組んだことで、一人では感じることのできない達成感があります。
山土からチョコレートのような粘性の土が採取できたことから、土の不思議について考えました。地域の高校教諭から実験道具を教えてもらいました。円筒におもしろがりながら土と水を混ぜて入れてみると土壌の層ができました。「ここがチョコレートのところや」と確認できました。こうして物の性質や仕組みに興味や関心をもち、深めていくとやがて科学への入り口につながることもあります。
椅子をめぐってお互い譲りません。どっちがいいとか悪いとかではなく、お互いに思いがあるのです。トラブルは相手の思いに気付くきっかけとなります。保育者は互いが納得するまでゆっくり思いを聞いたり代弁したりするのです。
社会福祉法人カナン福祉センター
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